僕のカラダが大きいワケ「ミフネ君のお母さんありがとう」
お世話になっております、スカラヴィジョンのヤマシタです。
作業が立て込んでまさに今、深夜4時前。
40も半ばを過ぎたこの年齢には、深夜作業というのはダイレクトに身体にズガーンと響いてきます。
20代の頃はいくら徹夜したって、少し居眠りでもすればカキーンとHPも復活してどうにかなったもんです。
でもね、今ではペース配分しないといきなりカラダが
「使徒、活動を停止しました」
ってなってしまうので、スケジュールが過密な場合、若さに任せてなんとかなるさと思っていた頃はただひたすらに無理をして力技でねじ伏せていたのですが、さすがに無理。
思い切って仮眠時間を設けて、少ない体力と集中力を温存するほうが4倍の効率で進められるということが大人の考えだなあと。
というか、それ以前にギリギリになってしまう計画力に大人もクソもないんですけれども。
集中力をアップして効率的に仕事をこなせるようになる解決策としては
- 適度に運動して体力を保つ
- 酒を控える
- 睡眠時間を確保する
という事がポイントだということは分かっているのですが…。
まあ仕事の後のちょっと一杯が最高すぎてw
10年以上前に煙草を辞めてからというもの、酒量が増えてしまい、人間というものは常に何かに依存して生きる生き物なんだなあ、と諦めています。
もともと僕はたまたま入れた某大手印刷会社に勤めていたのですが、会社員時代は、まだ普通にオフィスでタバコが吸える時代でした。右手にマウス、左手に煙草、みたいな。
禁煙ブームが当たり前の今となっては信じられないですよね。
印刷データを扱うMacのオペレーターを担当していたのですが、たまに印刷工場に行くと、信じられない事に印刷機と印刷機の間に、あの工事現場で見るような赤くて四角い缶の大きな灰皿が常備されていて、ヤレ(印刷用紙のゴミ)が散乱している中で、印刷工の皆さんが休憩がてらタバコを吸ってるんです。
発火性の高いインクと紙を扱う工場ですから、一歩間違えば大火事で大惨事ですよ。
昭和の古い映画など観るとわかるのですが、今のような煙草に対する受動喫煙といった潔癖な概念すらなかったなかった時代、あらゆる場所で、日本中で国民が煙草をプカーってやっていたんですよね。
一般企業のオフィスはもちろん、捜査対策本部、汽車の中、信じられない事に病院でも「あーたの病名はね◯◯◯だね」とか言いながら診察室で医者が煙草をフカしてるんですよね。
それもそのはずで、1966(昭和41)年の男性喫煙率はなんと83.7%!
ほぼ全員に近い人がタバコを吸ってた時代でした。
残りの吸っていない16.3%の人はタバコで健康を害した人なんじゃないでしょうかってくらい、ほとんどの人が煙草を吸うのが当たり前の時代だったんですよね。
かくいう自分も今のようにデザイン仕事をしながら一日にマルボロメンソールライトを一日に3箱吸っておりました。
それだけ吸うとね、翌朝トイレでペッと痰を吐いた時に、妙に黒い痰になっているんですよね。
ああ、こりゃヤバイよね、すぐ死ぬな、と常に思っていて、やめたいやめたいと長年思い続けてきたおかげで辞める事が出来ました。
今でも呑みながら喫煙者に1本でも貰って吸えば、それが2本、10本、1箱と、絶対戻ってしまうと思うので、強い意志を持って吸わないようにしてはや10年を超えました。
唯一自分を褒められるとしたら煙草をやめられたことぐらい、というほど、辞めてよかったなーと思います。
公には言えませんが、時効だからとすれば、実は煙草をおぼえたのは実は小学校6年の頃でした。
あれみたいなもんですね、ネットで話題になった煙草を吸う赤ちゃん。
いや、あれみたいなもんじゃないですけども。
その時はとにかく背伸びしたい、なんでもやってみたい、という気持ちで幼なじみの魚屋の息子に勧められるがまま、ちょっとやってみっか、という軽い気持ちで、カブスカウトの活動中に悪友から貰って吸ってみたんです。
カブスカウトというのはボーイスカウトの小学生バージョンで、青い制服を着た予備軍みたいなもんです。
イナズマンでいうところのサナギマンみたいなもんです。
みたいなもんです、じゃないですけども。
まだその頃はボーイスカウトって何をするものかがわからないまま毎週日曜日に通っていたのですが、なんか夏になるとキャンプ行けるし、楽しいなあという漠然とした気持ちで通っておりました。
唯一のデメリットとしては日曜朝に放送するドラえもんのアニメが観られないということぐらいでした。
僕が通っていたボーイスカウトというのはお寺に所属していたので、なぜかお彼岸とかお墓参りが盛んな時期になると、お墓の掃除とか、墓参りに来た人たちに電熱器で火をつけた線香を売るとか、大晦日には酒粕と砂糖を煮るタイプの甘酒を振る舞うボランティア的な活動をしておりました。
それがまあ、子供が適当に作ってるような甘酒で、不味くて不味くて、以来、今でも僕が食べられない苦手なものの一つでもあります。
ちなみに、鬼平犯科帳等で知られる池波正太郎が食通になったきっかけというのが、米麹を用いた甘酒を初めた飲んだ感動がトリガーになったと御自身も著書に記されています。
甘酒は「飲む点滴」と言われているぐらい栄養価も高く、慢性的に栄養が欠乏していた世代にとっては、まるで宝のようなものに感じたのではないでしょうか。
今で言う滋養強壮の類は、現代のような飽食の時代では体験出来ないようなチート感があったのだと思います。
若い嫁をもらったから、こうやって芋酒を飲む、みたいな。
芋酒というのは酒に山芋と溶いたもので、当時の人からすればめっちゃ濃いレッドブルみたいなもんですね。
先日、タクシーに乗った時の70代のドライバーがこぼした言葉を今でもおぼえています。
「私はね、戦後すぐの生まれでして、大事な時期に栄養が足りなかったおかげで、今でも目がよく見えなかったりしますわ」
つまり、人類の歴史の大半は常に飢えていたのです。
昭和だけじゃなくて、古代からずっと数万年単位で、人類は常に飢えていたんですよね。
甘酒みたいな栄養価の高い飲み物を飲んだら全て解決するようなもんなのです。
今のような3食が安定して手に入る世の中なんて、人類史上を考えたらほんの、まったくほんの一瞬でしかないんですよね。
だから少しのカロリーオーバーで身体は栄養を溜め込むわけです。
農耕が広まる前は、そこに生っている木の実、仕留められる保証がない獲物を求めて追いかける。
まったく見つけられなければ、その日は食べるものは無いわけです。
長いこと続けば、当然餓死するわけです。
現代でも雨の日に眠たい理由は、人間が長いこと洞窟で暮らしている頃、雨の日には狩りにも出かけられず、一日中寝ていた生活を非常に長いこと習慣づいていたからだと言われています。
話が脱線しまくりですが、まあその当時通っていたボーイスカウトというのが、勉強を諦めたバカ、兄弟が多すぎて半ば預けられるように地方から出てきたバカ、寺の跡取りでいやいや所属していたバカ、ただのバカ、といったメンツばかりだったんですよ。で、ヤンキー予備軍も多い。
奉仕活動をメインとするボーイスカウトの主なメンツがそんなのばかりだったのも、今考えればよくわからないんですが、まあ、なんか楽しかったのをおぼえています。
ボーイスカウトの話題はまた後日書くとして、こんな僕でも大きく育ったのは、ある人物のおかげだと思っています。
遡ること40年以上前。
幼稚園の頃の話です。
僕の横の席には、ミフネくんという身体が小さめな友達がおりました。
幼稚園の頃ってお弁当制だったので、毎日各自お弁当を持ってくるわけです。
で、ミフネくんは毎日お重2段のご馳走みたいな弁当を持ってくるんですよ。
ミフネくんのママは、小さめな我が子が大きく育ってほしい、という思いで、毎日せっせと弁当をこしらえてくるわけですよ。
しかし、ミフネくんは食が細いんです。
二段重のお弁当なんか、食べきれるわけありません。
じゃあどうします?
残しちゃったら、お弁当もったいなくないですか?
そこで、僕です!
僕が残さず食べてました。
おかげで現在、身長が187センチになりました。
ありがとう。
ありがとう、ミフネくんのお母さん。
おかげで僕だけ、こんなに大きくなりました。